1806年戦役のベルナドット(2)

 10月9日にはシュライツ(Schleiz)でベルナドット軍団のドルーエ師団と

ホーエンローエ軍のタウエンツェーン(Tauentzien)師団が交戦した。

タウエンツェーン少将は戦力的に不利な為、無理せずに後退したので損害は少なかった。

ベルナドット軍団は引き続き北進して10日にはアウマ(Auma)に到着した。

この日、左翼のランヌ軍団はザールフェルト(Saalfeld)でフェルディナント王子の師団と交戦した。

フェルディナント王子は積極的に攻撃に出たので、本格的な戦いになり、プロシア軍師団は

壊滅した上に、指揮官のフェルディナント王子が戦死してしまった。

下図はMilitary History and Atlas of Napoleonic WarsのMAP60の抜粋である(10月8日)。

<個人的な感想>

 フェルディナント王子が本格的な戦いを挑んだ理由は良く分からない。主力の戦列歩兵は

ザクセン軍3ヶ連隊であり、プロシア軍は1ヶ連隊しか居なかった。グナイゼナウ(当時は大尉)が

付いていながら、何をしていたのだろうか・・・。

 なお、この時点ではナポレオンはプロシア軍本隊がどこにいるのか分からないでいた。

ベルナドット軍団の北のゲラ(Gera)付近と想定しいたらしく、左翼をランヌ(後続はオージェロー)、

中央をベルナドット(後続はダブー)、右翼をスールト(後続はネイ)の態勢のまま北進した。

プロシア軍もフランス軍本隊の位置が分からず、お互いに手探りの状況であった。

その意味では互角であるが、部隊配置ではナポレオンの方が柔軟で相互支援が可能であり、

この時点でフランス軍が優勢と思う。

 

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